「なんで文一くんじゃなくて濵田だったのかなあ。」
ジャニーズWESTの公式サイトにおけるバイオグラフィから、「Johnny's CountDown 2013-2014 ウマれる新たな伝説 ジャニーズ年越し生放送」が消えた。
これにどういう意味合いがあるのかは定かではないけど、該当担のわたしは「過去は振り返らず前を向いて進む」と受け取った。
だからわたしは過去に言われて引きずったことをここに吐き出し、彼らと共に前を向いて応援しようと思う。
「なんで文一くんじゃなくて濵田だったのかなあ、って。」
2014年の晩夏、当時は浜中文一くん担当だった友人にご飯を食べながらこんなことを言われた。1字1句間違えずとはいかないけれど、意味合いとしては確実に、こういう意味のことを明確に、濵田くん担当のわたしに言ってきた。彼女はその後、「今はもう思ってないよ!」と付け加えていた。
ご存知の通り、ジャニーズWESTは4人でのデビュー発表だった。わたしの好きな人はその時まだジャニーズWESTではなかったのだ。それから1ヶ月間、彼らは挫折を味わいながらデビューという切符を手にした。(ここでもデビューの話題作りができてよかったねとか言われたこともあったがこの際気にせず)それまではいい。
上記の言葉をこの時に言われたならまだわかる。でも、重岡くん不在の「台風n Dreamer」の東京公演真っ最中に言われたのだ。割と今更だなという気持ちだった。彼女は「なにわ侍 ハローTOKYO!!」も見ていたはずだ。確かにあの舞台で濵田くん演じるプロデューサーがアイドルになるのには無理はあったが、実際の濵田くんはジャニーズWESTとしてデビューした。
この時わたしは悔しいことに「その七つの席のひとつに座るのが濵田くんである理由」を言えなかったのだ。今ならもういい!と言われるほど言える。でもそれは結果論だ。当時の濵田くんはひとりでのお仕事がまだなかった。流星くんは「アゲイン!!」でドラマの主演をしていたし、神山くんも同じく同作品に出ていた。だからその日の帰り道は人目も憚らず泣きながら帰ったし、友達にも愚痴ってしまった。
その時友達は「それでもわたしは濵田くんがジャニーズWESTに加入してくれてよかったと思う。今の立ち位置は文一くんではこなせない立ち位置だとわたしは思う。そして貴方から神山くんを勧めてもらって出逢うこともなかったのだから。」と。ほんの少しだけわたしは救われた気がした。
わたしは個人の仕事がなくても濵田くんが好きだ。たぶんそのすぐあとに「リトルトーキョーライブ」で漫画家さんのお宅にお邪魔して放送事故を起こしていたはずだ。それでも美味しいと思った。...ごめん、濵田くん。しかし今にして彼女の言葉の意味もわかる気がしている。しかしそれもタラレバの世界を脱することは出来ないと思う。
わたしにとって彼女のことも大切な友人だし、浜中文一くんのことも好きだ。だから今の文一くんのお仕事はすごいなあと思うし、見には行けないけど動向は気にしていたりする。
だからこそ、彼女からそういう言葉が出てきたことがショックだった。わたしがジャニーズWESTが7人でデビューすることを喜んでいる傍らで、こんなことを思っている人が身近にいるとは思わなかったから。わたし自身デビューが決まって舞い上がってしまって気を遣うということが出来ていなかったのかもしれない。それを差し引いてもだ。なぜわたしに対してその言葉を言ったのか?どういう答えを求めていたのかは未だにわからない。
「そうだねじゃあ濵田くんと変わってください」なんて言えるわけなかった。濵田くんだって藁をも縋ったはず。「でもそれは他のJr.だって同じだ...」と気付くまでにはかなりの時間を要してしまった。
ことの終わりはわからない。あの言葉は今でも思い出して悲しくなる。これはきっとこの先オタクをやめる時まで痛み続ける傷だ。そんな気がする。
でも、ジャニーズWESTは魔のデビュー発表を乗り越えて、各個人で仕事を掴み、京セラドームでの単独公演を成功させた。彼らが進むならわたしも進まなければならない。
ということで、当時の気持ちを思い出しながら書きました。供養とさせていただく。
おそまつさんでした!